追憶・深川秀夫

今日届いた夕刊に「深川秀夫」の記事が大きく掲載されていた。

先日も彼・深川秀夫の事を書いたが、今日 もう少し書かせて貰います。

彼のバレエを初めて観たのは 私が中学生のころで、名古屋にある「越智実バレエ団」での公演だ。当時バレエに関して何も知らなかった私は、彼の踊りを見て何かワクワクする感情を持ったことを覚えている。

そして、カーテンコールの時一緒に踊り終えた越智実さんが舞台上で深川秀夫をさして

「彼は踊りながら『次はこうで、その次はこうです』と耳元で振付をささやくんです」って

ニコニコしながら紹介していたのが印象的でした。

親戚の中で芸に関することを目指していたのは、確か、いとこの彼と私くらいだったと思います。 私が役者を目指して底辺をゴソゴソと足掻いていたころには彼はもう世界を、それこそ飛び跳ねるように活躍をしていました。ドイツ、フランス、ブルガリア・・・・。

彼がヨーロッパから帰国した際、日本で定宿にしていたお姉さんの家に滞在していた時、

私は久しぶりに彼に会いに行きました。

数時間過ごした後、私が帰宅するとき彼はわざわざ最寄りの駅まで送ってくれました。

道すがら彼と話をしたとき、彼は「トシちゃん(私)はいいよね、役者はセリフ・言葉で表現できるんだから。俺たちダンサーは言葉がない分身体全体で表現しなければならないんだよね」って。

     彼の残した忘れられない言葉の一つです。

彼がヨーロッパから帰ってきて東京・吉祥寺に「バッレット メニア」」と言う団体を立ち上げた時、私はその吉祥寺の稽古場と彼のマンションを訪ねました。

マンションで彼は私とお茶をしながら「男のダンサーってねリフトの強さとジャンプ力だけが頼りなんだよ」ってボソッと言っていた。

しばらくして、彼が都内で公演を行うというのでいそいそと出かけ、何年振りかの彼の踊りを観、堪能しました。 終演後彼の楽屋を訪れた時「トシちゃん、どうだった?」って聞かれ、私は「もう少し観たかったな」ってこたえたら彼は「もう少しって思うくらいの長さが丁度いいんだよ」って笑っていました。

楽屋見舞いの方々が沢山みえていたので挨拶もそこそこにして帰宅。

当時私は私鉄沿線にあるボロアパートに住んでいました。電車の中で今日のバレエの事を思い耽っていた時、なぜだか急に胸の内が熱くなり込上げてくる涙を堪えるために 途中の駅で下車しホームのベンチで気持ちがおさまるのを待ってからそのボロアパートへ帰りました。 彼とはそれきりになって仕舞い、次に会ったときは私の母の葬儀の時で、彼はその場の私に遠慮し声を掛けることは無かったです…。

    彼・深川秀夫は本当に尊敬できる人物でした。

劇 ユニット 428

2018年、役者・水谷敏行によって設立。 2018年 11月 中野・劇場「HOPE」で「煙が目にしみる」を旗揚げ公演としました。 公演ごとに作品にあったキャスト・スタッフを集める企画公演の形態を取り 演目は既存の作品からオリジナルの作品まで、洋の東西も問わない。 連絡先:geki_unit_428@yahoo.co.jp 迄よろしくお願いします。

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